平日お昼にサッと読む どろんぱの散文

シンプルな暮らし、いい言葉、映画、プチプラ、ダイエット、その他日常で心に触れたものと人。

「悪気はない」という言葉の性質と破壊力に思うこと。

年齢を伝えた時に「えー!意外といってるんですね!」と言われたことがあります。

言っている本人に悪気はないのです。「※個人の感想です。」が後ろにつくレベル。*1

何なら「もう少し若く見えますよね」というニュアンスの誉め言葉のつもりだったかもしれなくて、繰り返しますが「悪気はない」わけです。

私も「悪気はなかった」という弁明をしたことがあるし、きっと誰もが一度くらいは言ったことがあるのではないでしょうか。

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本人にとっては自然なこと

している本人にとっては、息をしているのと同じくらい当たり前のこと。

理由があって聞き手に生まれたモヤモヤの真意も、何も考えていない人たちからすれば理解はできないものなのです。

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悪いと思っていないことを反省することは難しいと思うし、受け取った側も責める気持ちが沸きません。「悪気がない」方が反感を買いやすいのはこのため。



悪気の有無に関わらず

悪気があっての発言の場合でも決して良くはないのですが、自覚があるということは改善される見込みもあるということ。

むしろ「悪気はない」という言葉を免罪符代わりに使っているとしたら、その時点で悪気があるわけです。

  1. 正直に傷ついたことを伝える
  2. 受け流す
  3. 距離を置く 


のいずれかで言えば②が大得意なので、私は自然と②を実践しています。

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自分が傷つけてしまった側になった時は、①のような友人を持つのがひとつの鍵になることでしょう。


反応も二極化

悪気がないと言われた時、「分かってるから大丈夫よー」と笑って言えるケースと「いや、そんなことは分かってるんだけどね…」と戸惑うケースに分けられます。

発信者との信頼関係、目の前で起こっている出来事の重大さが分かれ目。

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お互いのダメージを最小限にするため、出来る限りの関係性を築いておくこと、悪気がなくても素直に謝る姿勢をもつこと、自他共に大問題にならないための配慮と下準備が重要になってくると思った次第です。

 

三大モヤっとコンボ

「謝ったんだから許してあげなよ」「良かれと思って」「悪気はないんだから」という屈強な3コンボは「相手がいまいち納得しないで賞」をあげたくなります。

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「気にしすぎ」という言葉も、受け取り方に非があると言われているような気になる場合もあるそうです。

傷ついている人を目の前に、少なくとも当事者が謝罪もなしに「悪気はなかったんだよ」と切り返すのは良くないという所感です。

悪気はなくても、相手を傷つけた事実は変わりません。

まとめ


悪気の有無は、「悪気がありました」と申告されない限り見極めも難しいものですが、相手が求めている温度感みたいなものを察知して、受け手にストレスを与えないことが肝要だなと思います。

こんな記事を書いていますが、「悪気はないのかもしれないけど傷ついた」という趣旨のことをピシャリと言われた経験もあり、もちろん私は「悪気なく」発言していた言葉でした。

というわけで、自戒の念も込めて…


本日の名言。

 

悪気のない無邪気さの裏に潜在する無自覚な差別意識の方が、よっぽど怖いし性質が悪い。

ミッツ・マングローブ

*1:実際に意外といってます