平日お昼にサッと読む どろんぱの散文

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正論を伝えることが、いつも正しいとは限らない。

割とハッキリした物言いをする方なのですが、対話している相手から「正論を伝えることが良くない時もある」と悲しい顔をされてグサッときた経験があります。

反対に、人から正論を言われてグサッときたことも。

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正論とは

道理を説く論について正しいものであると評価する呼び方である。事実に関する議論や認識論について用いられることはあまりなく(中略)、論の対象は道徳、倫理や規範、政策など、公共的な要素をもつものが多い。

wikipediaより引用

後述しますが「正論とは何か」という話になるとパラドックスが起こるのと、難しいことはよくわからないので、ざっくり「道理にかなったこと」とします。


私の場合

長い間落ち込んでいた知人に「もっと辛い人は世の中にたくさんいる」と言ったことがあります。知らなかったとは言え、相手は心の病になる一歩寸前でした。

むしろ気鬱な状態から立ち直るために邪魔となる感情が本人の中にうごめいたことは否めず、記事タイトルのようなことを言われて反省しました。

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ちなみに私は「食べすぎるから太る」という正論にぐうの音も出なかったのですが、この話はまた別記事に書くことにします。

「正論」自体はあって良い


身近な正論で挙げられるもの。

「泣いたところで解決にはならない」
「嫌なら辞めればいい」
「時間が解決してくれる」
「ただしイケメン(美人)に限る」←?

前述の出来事からも、正論そのものは存るべきものではあるけれど、正論を「伝えること」が、いつも正しいこととは限らないと改めて思いました。

正論パラドックス


持ち出される場が自己言及的なので「正論」の定義自体がもはや怪しいわけですが、世の中に道徳的に通じている既成概念みたいなものはあり、それが多くの人にとって概ね「正しいこと」「よい指南」であることは間違いないと思います。

その裏側で、それが真に正しいものかどうかまでは不確実と言えるため、「その場の状況に最適な道理」が、最も正論に近い位置にあるのかもしれません。

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正論の取り扱い方


正論は相手の心を閉ざしてしまう可能性を持っています。

そのため経験則からも、弱っている人や感情的になっている人、共感が欲しい人に対しては、特に気をつけたいところです。

人間は理屈ではなく感情に突き動かされる生き物。正論だけでは可愛げがないので、正論を言う前に一言添えるとか、そういう創意工夫が必要なんだと思っています。


ロジカル且つ頭の良い人は一層気をつけた方が良いのかも…

 

まとめ

 

「正しいとか間違っているではなくて」というのも正論になってしまうことから、正論と名のついた箱の中身は実は普遍的なものではなく、個人の内面にある良心とその基準の集合体

そのため、自分の心の核部分にある想いであれば相手に伝えるほかないのですが、その時に配慮すべきなのが態度や言い方、タイミング、相手の心理状態、相互の信頼関係だったりするんだと思います。

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本日の名言。


賛成の数が多いからと言って、何一つ価値のある証拠にはならない。

デカルト