平日お昼にサッと読む どろんぱの散文

シンプルな暮らし、いい言葉、映画、プチプラ、ダイエット、その他日常で心に触れたものと人。

親子の形や距離感は多様であっていいと思う、という話。

「自宅から実家まで30分で、週に一度は実家に帰る」と言うと「それなら実家に住めばいいのに」という通俗的な答えが返ってくることが。

そりゃまあそう言うよなあ、とも思うし、母のことは大好きなので本人にもそう伝えていますが、単にこの距離感が最適だから一緒には住みません。

戸籍を別々にした


19歳の時に両親が離婚し、どちらの戸籍に入るか選択を迫られました。

父と母、双方の心に寄り添いたいとかいう正義感からでもなく漠然と、「選びたくないし選べない」という想いが自分の中にありつつも、母の戸籍にひとまず入ったのを覚えています。

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前述のモヤモヤが消えず、成人になって独立戸籍を取得したいと申し出たせいか、そこから母との暮らしが断続的な冷戦状態になったという経緯があります。

周りに理解されなかった


当時の母の言動がどこか刺々しく見えていて、距離を置きたいと思ったり反面教師みたいに感じたり、そりが合わなくなった、苦手な人とまで思った瞬間もありました。

その話を周囲にすると「親をそんな風に言うもんじゃない」と悲しい顔をされ、普通じゃないみたいな言い方も受けました。胸中は複雑で、そんなこと言われてもなあ…という反抗的な思いと適当に共存してきた20代。

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自分以外は他人


「他人」
というと究極的な言い方になってしまいますが、自分ではないという意味での「他人」です。一人の人間として、自分とは違う人格を持っている人。

家庭環境内や社会で培われた「親子なんだから」という学びを薦めてくる人に対して、いつもどこか違和感がありました。

私も離婚当時の母には「強い母親像」を薦めて押し付けていたかもしれません。母が一人の女性であり人間なんだという理解がもっとあれば、冷戦もなかったのかもと思っています。

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親と子の間にあるもの


親と子の関係性が逆転している、親の借金による修復しがたい不和など、むしろ家庭環境が複雑という友人が大人になってから増えました。

家庭環境なんて言われなければ分からないことだし提言した本人にも悪気はないわけですが、「親を大切にね」という何気ない一言に「大切にしたくない親です」と切り返す友人もいました。

グァテマラでのホームステイ中、ホストファミリーを本当の家族のように感じていましたが、それはきっと二者間にある愛情のおかげでそんな感覚になったんだろうと思っています。
 
そして家族間のそれは必ずしも無条件にあるわけではない、とも思います。

まとめ


両親からたくさんの愛情を受け、恵まれた家庭環境で育ちましたが、前述の通り「親子はこうあるべき」なんてものは私の中にはなく、悩んでいる人には努めて理解しようと思えます。

あれから10年、紆余曲折を経て私も変わったし母もかなり変わりました。冷戦も知らぬ間に終わり、今は母のことを心から尊敬しています。

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環境や性格が変われば自然と関係性も変容するもの。

親は選べない
という言説がありますが、少なくとも私は母を選んで生まれてきたと思っています。

この世に生を授けてくれた人という不動の事実に特大の感謝と行動をもって恩を返済したいんですが、何というかまあ、まだまだ甘えてしまってます。

 

今日の名言。


人間関係というのは、相手との距離さえ置けばうまくいく。もめるのはその距離を越えようとするからだ。

連城 三紀彦